家族に見放されてしまったら本当の意味での「孤独」が待っている
こんにちは!maakyuです!
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20歳の時に母親と大ゲンカして実家を追い出された自分は、最初は母親への憎しみを抱いてた。
そしてその憎しみをバネにして「いつか母親を見返してやる!」ということだけを生きがいにしてきた。
「母親とは一生会わない!」そう誓って母親とは連絡一切してなかった。
ただ自分には妹がいて、最初は連絡一切してなかったがしばらくしてたまに連絡とるようになっていた。
先日、突然知らないアドレスから連絡がきた。
その主は母親だった。妹にアドレスを教えてもらっていたんだろう。
この時母親とは、実に12年間も会ってなかった。
久しぶりの母親からの連絡に少し戸惑ったが、同時に涙が止まらなかった。
あんなに憎んでいたのに。。連絡がくるだけで嬉しくてたまらなかった。
そしてちょうど自分がどん底で苦しんでる時だったことも重なり、余計に嬉しかった。
一番苦しい時に助けてくれるのはやっぱり家族だ。
しかし、最低限の礼儀を忘れて甘えてると、本当の意味での「孤独」を味わってしまう。
そうならないためにも、今回は実体験を含めていかに家族が大事かを話していきます。
おまえ、もしこの記事がうすっぺらい内容だったらどうなるかわかってんだろ~な?
・・いや、
そんなハードルあげてど~するんすか?
家族と12年間も疎遠になっていた
最初に述べたように、母親と最近再会するまでに、12年もの月日が経っていた。
なぜ疎遠になってしまったのか?
原因を詳しく解説します。
家を追い出された原因
最初に述べたように、20歳の時に母親と大ゲンカした。原因は、自分が社会人なのに定職に就かず、家にろくにお金を入れていないくせに遊び呆けていたから。
遊びに行く時も母親からお小遣いをもらってたから、そりゃ母親も怒るのは当然。
そんな当たり前のことに自分は気づいておらず、母親に理不尽な反抗をしまくった結果大ゲンカになり、家をとうとう追い出された。
こいつ、同情もできねぇクズだな・・
うん、おまえもな。
後に母親から聞いた話では、自分を追い出した日母親は一日中号泣していたらしい。
普通自分で言うか?
自分を追い出した理由も、自分が将来強く生きていくためにあえて追い出した。とのこと。
自分のことをしっかり考えてくれていたんだな。と後になってやっと理解できたが、当時の自分は「なんで追い出されたんだ。自分はいらない子供だったのか」としか思えなかった。
追い出された当時は、母親に対しての怒りと見放された絶望感しかなかった。
運良く友人からすぐに住み込みのバイトを紹介してもらえたことで家は確保できたが、それでも母親に対しての怒りは日に日に増していくばかりだった。
こいつなんか・・
中二病くせぇヤツだな・・
・・いや、そこ!?
疎遠になった決定打
自分を追い出した負い目からか、自分を心配していたのか、追い出されてすぐのころは、母親から連絡が入っていた。
ただ、怒りが収まらない自分は母親からの連絡を無視していた。
それでも毎日のように母親から連絡が入り、いい加減にしろ!と思った自分は母親に対してぶち切れメールを送った。
その時に、母親に対して「あんた」
と言ったことがまずかった。
いつもは「お母さん」と呼んでいたのに。。
母親はその言葉に相当ショックを受け、その後連絡してくることはなかった。
後先考えず、感情のままに言ったたった一言が母親と疎遠になった原因だった。
その結果、和解するのに12年間もかかってしまった。
かぁっ・・こんなちっちゃいことをねちねちと・・俺こんなネチッこいヤツ嫌い!!
(・・そういう問題じゃないだろ・・)
これは上司に対して「あんた」と言ってしまうことと同じ。いやむしろそれ以上に重い。
20年間一生懸命に育てた子供から「あんた」と言われた母親の心境は、母親としてみてもらえていないこと、今まで必死に育ててきたことがすべてなかったことにされかねないのと同じ。
そりゃショックを受けるに決まってる。
いくら家族といえど、礼儀は大事。
そんな当たり前のことに気づいたのも、妹に指摘されてはじめて気づいた。
ハハハッこいつばかじゃね~の!!
・・いや、お前もうだまれ。
・・あ?お前また俺にそんなクチを聞いたな?アシスタントクビにすんぞ?
ひぃぃぃ!!すんません!!
もしくは、自分が親になってからでないと気付かないかもしれない。
妹に指摘されて、早めに気づくことができたからこそ今になって和解出来たのかもしれない。
それでも12年間という期間は本当に長かった。
皆さんも、家族など大切な人に対しては特に言葉を選んだ方がいい。
自分みたいに疎遠になりかねないから。
長い間「孤独」を感じていた
自業自得だが、家族に見放されてからは本当の意味での「孤独」を感じていた。
そのうち、言葉を選ばない自分のせいで、家族だけでなく助けてくれていた友人すらも離れていった。
それでも、当時はものすごくひねくれた性格だった自分は「人が離れていくのは自分のせいじゃない」と、バカげた考えを持っていて1人で生きている気になっていた。
ただ、毎日が本当につまらなかった。
誰も自分を見てくれてなくて寂しかった。
強がっていても、心の不安は消えることはなかった。
仕事中は誰かと話するがうわべだけ。
家に帰っても誰もいない。電気も付けず、1人でずっとなぜ1人なのかをずっと考える日々。
気を紛らわすためにゲーセン言ったり、パチンコに行ったりしてとにかくにぎやかな場所を求めた。
そんな日々を、▼こちら▼にまとめています。
毎日毎日同じことの繰り返し。
でも誰も自分を見てくれない。いざという時に助けてくれる人もいない。
「このまま誰とも関わることなく終わるのか。」
先が真っ暗な状態だった。
プライベートがこんな状態のせいか、仕事も長く続けることができずに転職を繰り返し、仕事においても人脈を作ることもできなかった。
そんな状態でも、まだ「こんな状態になったのは家族のせいだ!」と思ってた。
まともな精神状態じゃなかったかもしれない。
そんなことになったのも全部自分のせいなのに。
なんか・・
笑えないな。
うん・・
そうですね・・
大切な人に出会えてはじめて気づいた
真っ暗な状態の毎日をずっと繰り返していた時に、自分の運命を変える「ある人」と出会った。
それが今の彼女です。
当時同じ職場で働いていたが、最初から彼女とは話が弾み、そのうち仕事外でも会うようになった。
それでも、最初のころは「所詮は他の人と同じでうわべだけの付き合いしかないんだろう」と思って壁を作っていた。
ただ彼女は違った。いくら突き放しても自分に構ってくるし、決して離れようとしなかった。
そのうち彼女と付き合うようになり、同棲をはじめてからも同じだった。
何度別れを切り出しても離れようとしない。
自分の弱い部分をさらけ出しても離れなかった。
じっくり時間をかけて、少しずつ彼女に心を開いていき、それと同時に自分の考えも少しずつ変わっていった。
いつしか彼女は、自分にとってはじめて家族以外の「大切な存在」になった。
うっせぇ!!のろけてんじゃねぇ!!
(こいつ、性根が腐ってるな・・)
彼女に出会えたことで、自分のひねくれた考えを改めていくこともできた。
もし彼女と出会えていなかったら間違いなく潰れていただろう。今考えてもゾッとする。
それだけ大切な人がいると自分自身が成長できる。
逆に1人では、いつまでたっても成長できない。
12年ぶりに母親と再会
彼女という大切な人ができても、心に空いた穴は完全に埋めることはできなかった。
どうしても心の中で「家族に謝りたい」という気持ちがあったから。
謝りたくても謝れない。会いたい気持ちはあっても心のどこかで、まだ自分を追い出した母親に対しての怒りがあった。
いらない意地を張っていたせいで近くにいても決して会うことはなかった。
やっと再会!?
話なげぇよ!!
お前のつっこみもしつけぇよ!!邪魔なんだよ!!いちいち割って入ってこねぇで黙って話をきけや!!
・・そんな強く言わなくてもい~じゃんよ・・この〇ソ野郎△※〒◆・・
母親と会うきっかけは妹の説得
自分もだいぶ根に持つ性格だが、母親はもっと根に持つ性格。
自分と同じく母親も意地になっていた。
自分は妹とは時々連絡を取ってた。
近況を報告したり、たわいもない会話だけだったが自分に気をつかっていたのか母親のことは言わなかった。
そんな状態が我慢ならなかったんだろうが、妹は母親に対して「いい加減許してあげようよ」と説得していた。
最初は聞き耳持たなかったみたいだった。
そりゃ当然だが、あれからもう10年以上たっていたのもあるし母親もさすがにもういいだろう。とは思っていたらしい。
何より怒りもあったがやっぱり心配もしていたみたいで、ある日妹に母親自ら「自分のアドレス教えて」と言ってきたらしい。
これがいわゆる
「ツンデレ」ってやつか!!
・・いや、違うと思います。
ずっと母親の説得をしてきて、自分と母親をつないでくれた妹には感謝してもしきれない。そして頭も上がらない。
ついに母親からの連絡、そして再会
母親が自分のアドレスを知っていることは妹から聞いていた。
ただ、母親から連絡してくるとは夢にも思わなかった。12年間、お互いに状況がいろいろ変わっていったことで母親の心境も変わったんだろう。
久しぶりだったこともあり、最初は少しよそよそしかった。
母親は元々メールが短文だったのもあるが、お互いの近況を報告する時もどこかそっけなかった。
それでもめちゃくちゃ嬉しかった。
あ~、なるほどね。
こいつマザコンか!!
・・いちいちつっこむとこ違うんだよな~・・
そのうち連絡がわずらわしかったのか、電話があった。12年ぶりに母親と話すのでかなり緊張したが、結局長話になっていつまでも話したかった。
その次の日にあっけなく母親と会うことができた。
電話でも緊張したが、実際に母親と会う時はとてつもなく緊張した。
母親の家は車で10分ほどの距離だった。
こんなに近くにいたのに一度も会わなかったのは驚いたが、母親の姿が12年前とあまり変わってなかったことにも驚いた。
え!?近っ!!!
母親と実際に12年間のことを話していくうちに、12年間という長さを徐々に感じることができたが、それでもつい先日会ったかのようにも感じた。
とりあえず会って最初にしたことは、母親に対して改めて12年前のことを謝った。
そこではじめて当時の母親の心境も聞けたことで、改めて反省した。
もし母親が自分を完全に見捨てていたなら、それこそ一生会えなかったかもしれない。
12年間の溝が完全に埋まったわけではないが、それはこれからの自分次第で埋めていくことができる。
やっと新たな一歩が踏み出せたし、なにより家族が自分を見てくれているとわかったことが心強い。
それだけ家族がいることがいかに大事かということが改めてわかった。
家族がいることが当たり前のように感じていても、家族も人なので最低限の礼儀を忘れてしまうと離れて行ってしまうのは当然です。
相手が家族だからこそ人一倍傷つき、自分のように長い間疎遠になってしまうこともあります。
何度も言います。家族が離れる=本当の孤独が待っており、それはとてつもない地獄です。
当たり前ですが、家族はみんなにとってたった1つの宝物です。
今一度「家族」という存在がいかに大切かを考え、悪いと思う言動や行動はしっかり反省して、改めて良好な家族関係を築き上げていきましょう。
・・うん。
おまえがいうな。
・・ていうか、前回のじいさんキャラはどうしたんですか?
▼前回の記事▼
いや・・俺にもいろいろあんだよ!!いちいちつっこむなや!!
しょっぱなキャラブレるって・・ほんとこの人なんなんだよ・・